2014年9月12日金曜日

人として、科学者として、成長できた大学院留学

1.留学をするきっかけ

私がアメリカの大学院で博士号を取ると決めたのは、大学3年生の時でした。当時の私は研究室に配属になったばかりで、研究がどんなものかも理解していなかったですが、何か一つのことを極めたい、全く違った環境に身を置いてみたいという願望は子供の頃から強く、その当時の指導教官の「それならアメリカで博士号とったら?」という一言に即座に反応して、あまり迷うこともなく「ではそうします。」と留学を決意しました。今思うと大きな決断をあまりに簡単にしてしまったなあという気持ちはありますが、英語力はどんな仕事をする上でも役立つこと、アメリカの大学院では学生でもお給料がもらえるというのが留学を決意するのに後押ししていたと思います。


2.留学中の生活

授業

私の在籍した大学院では、最初の1~3年は授業を受けることが必須でした。渡米後、すぐに授業は始まりました。そこで出てきたのが英語の問題です。英語はTOEFL対策で勉強もしていましたし、それまでにも短期語学留学をしていたので、正直そこまで心配はしていなかったのですが、いざ授業が始まってみると、教授の話すスピードは早く、また教授によってはすごくカジュアルな表現を使って話すので、試験に出るような英語を勉強してきた私にとって、理解するのは非常に困難でした。教授の言う冗談に気づかずクラスメートが笑って初めて冗談だったと知ることもしばしばありました。最初のセメスターは授業を録音して聞き直したり、教科書を読んだりと自習の時間がかなり多かったです。平日の夜、週末は授業で出された宿題をしたり、中間、期末テストの勉強をしたりと、まるで中学、高校生に戻ったみたいだなと感じていました。初めはこんなふうに大変でしたが、2年目に入るころには英語の授業にも慣れてきました。しかし学年が上がるにつれて今度は授業のレベルも基礎的なものから発展的なものに上がり、次は新たな問題が出てきました。ディスカッションでの発言です。大学院の授業では、論文を読んで、論文のデータや結論について意見交換をするという形態がとられることがあります。発言をすることも成績を決める上での重要な評価ポイントとなるので、聞き役にまわると良い成績はとれません。しかしながら、みんなの前で何か意見を英語でいうというのは非常に勇気のいることでした。伝わらなかったらどうしよう、間違ったらどうしよう、などと考えて最初は発言を躊躇することもありました。しかし、悪い成績をとってしまうと退学になる可能性もあるので、自分に鞭を打ちながら発言をするように心がけました。こういった授業を通して、英語でディスカッションをするという力が鍛えられたと思います。

研究

1年目には授業と並行して、卒業研究を行う研究室を決めるためのラボローテーションがありました。自分で4つの研究室を選び、8週間ごとに研究室をまわりました。4つの研究室をまわってみてびっくりしたのは、それぞれの教授の指導方法、研究への関わり方、研究室の管理は大きく違うということです。ラボローテーションは無駄だと言う人もいますが、少なくとも私にとっては、様々な研究室の研究のやり方を知れたこと、知り合いが増えたことなどメリットがあったと思います。ローテーションが終わったあとは実際に一つの研究室に所属して卒業研究を始めました。長い戦いの始まりです。最初は教授から大まかなテーマを与えられ、始めのとっかかりになる実験、解析のアドバイスをもらいましたが、研究が進むにつれて、自ら研究のアイディアを出したり、方向性を決めたりし、必要があれば教授に助言を求めるという形で研究をしました。

このように研究室の教授は生徒の自主性、独立性を重んじつつも、必要があれば手助けをするという形だったので、私にとっては自分の考えに基づいて研究しつつも、大きな支えがいつもついているという感覚で非常に心強かったです。また、卒業論文のアドバイスをしてくれるのは、研究室の教授だけではありません。Thesis Committee と呼ばれる、私の卒業論文の最終審査をする他の研究室の教授3人も、私の研究に大きな助言をしてくださいました。これらの教授3人を含め、年に一回Committee meetingを開き自分の研究の進捗報告をすることで、研究がきっちりと進んでいることを確認する必要がありました。

私生活

アメリカにいると、人々が仕事、休暇どちらに対してもポジティブにとらえている雰囲気を感じることがよくあります。仕事も一生懸命するけれど遊ぶときも心置きなく遊ぶというように、人生をめいっぱい謳歌しようといった感じです。私の研究室の教授もその分野ではとても著名な研究者で、世界レベルでの大きなプロジェクトのリーダーシップを取っているような人でしたが、同時に、4人の子供の父親で家族との時間も非常に大事にする人でした。毎年の家族旅行も欠かさず、平日の夜も子供の宿題を見たり、芝刈りをしたり、家庭を非常に大事にしていました。教授の家でのポトラック(持ち寄り)パーティーも年に2-3回はあり、中国人、韓国人、インド人、ブラジル人、コロンビア人、フランス人と国際色豊かな研究室だったため、いろんな国の料理を楽しんだものです。またラテン系のメンバーがいたこともあって、最後はダンスパーティーになることもありました。アメリカではこういった仕事と私生活のバランスを上手く保っている人が多くいて、私も大きな影響を受けたと思います。私自身も、なるべく勉強や研究は集中して効率よく行うことを心がけ、年に一回は日本へ帰省し家族との時間を楽しみ、また、アメリカ国内の旅行なども楽しみました。平日、息抜きをしたいときは、大学のジムで運動したり、大学の音楽の授業に参加してみたり、友達とパーティーをしたり、ショッピングや美味しいものを食べに出かけたりなどといろいろ楽しんだと思います。

3. 博士号をとった後の私

現在、私はポスドク研究員として、新しい研究室で新しい研究プロジェクトを始めたところです。博士過程では学生という身分でしたが、ポスドクは一人前の研究者と見なされます。よい研究のアイディアはないか、面白い研究にするにはどうすればよいのか、どんな研究が最前線で行われているのかなどということを調べ、考えつつ、実験したりしています。もちろん研究室の教授や他のメンバー、さらには他の研究室の人たちとのディスカッションも欠かせません。博士号取得者の就職難は日本でもアメリカでも言われていますが、今はポスドクとして研究を続け、その次のステップに続くようにがんばろうと思っています。アメリカでは博士号取得者の就職先はアカデミアだけではなく、企業研究者、雑誌の編集長、コンサルタントなど多様です。今後自分がどのような形でサイエンスや社会に貢献したいのかを考えつつ次の道を探ろうと思っています。

4.日本の学生に伝えたいこと

何年にもわたる留学は自分の人生を大きく左右するものです。日本にいれば経験することのないような外国人という立場、言葉の壁、不自由さなどいろいろな面での苦労もあります。しかしながら、そういったマイナス面をも吹き飛ばすようなくらいの良い変化をアメリカの大学院留学は私にもたらしてくれたと思っています。研究に真摯に取り組む姿勢、真面目でありながら楽しむことも忘れない人々、情熱をどこまででも受け入れてくれる環境など私を魅了してやまないものがここにはあります。近年、海外に出たがる日本人が減少傾向にあると聞きますが、このエッセイを通して少しでも大学院留学について興味を持っていただければ幸いです。




著者略歴:岩田愛子(いわたあいこ)
日本の大学、大学院修士課程を卒業後、インディアナ州パデュー大学、ライフサイエンス学際プログラム博士課程に進学し博士号取得。博士課程の途中で指導教官の移動に伴いジョージア大学に研究室とともに移動し研究を続ける。2014年からはポスドク研究員としてペンシルバニア大
学に在籍。分子細胞生物学が専門。

※この文章は、2014年9月13日(土)に秋葉原UDXギャラリーで開催されるAmerica Expo 2013 にて配布予定の「カガクシャ・ネット:海外実況中継」と題した冊子に掲載されました。他の寄稿文、pdfファイルはこちらからダウンロード可能です。

にほんブログ村 海外生活ブログ 研究留学へ にほんブログ村 海外生活ブログ 海外留学(アメリカ・カナダ)へ にほんブログ村 海外生活ブログ 海外留学(ヨーロッパ)へ

0 件のコメント :

コメントを投稿