2014年4月28日月曜日

アカデミア永久職獲得まで(2) 自分を繕わずにアピールして

 アカデミアでの永久職獲得を目指す就職活動についてお伝えする連載の第二回です。

「就職活動は自分自身を客観的に考える良い機会だ。」
そう就職活動を勧めてくださった教授の配慮にこたえ、いよいよ今村さんの
就職活動が始まります。雑誌を調べ、公募に応募し・・・。

今回は現在のご所属先であるケンブリッジ大学の公募に巡りあうまでの軌跡を
ご紹介いただきます。就職活動のご経験についての客観的な分析がたっぷりです。


博士研究員(ポストドクター・ポスドク)になり3年が過ぎた頃、ポスドク期間は
あと2年ほどと考えていた。それは、アメリカの国立衛生研究所(National Institute of Health)が、若手への助成(Kグラント)は、博士取得後5年以内という制限を設けているからである。
http://grants.nih.gov/training/careerdevelopmentawards.htm

まだ必死になる時間ではないと考え、余裕をもって次のキャリアステージを探す。自分の専門とする栄養学・疫学関係のウェブサイトや学術雑誌、Natureなど科学誌のサイトまで目を通した。


3.公募にこだわる。


とりあえず公募にこだわることにした。何かしらの人脈に頼ったとすれば選択肢が限られ、また面接の内容、評価など客観性も失われることとなり、教授の助言(第1回参照)も無駄になる。時に就職難を肌で感じながらも公募にアプライする意欲は失わずにいた。

また、ポスドクになって3年が過ぎたところで、何よりも私自身が自身の真に客観的な評価を知り、そこから自信を得る必要があった。

以前より「エビデンス」が重要視され始め「ビッグデータ」なる単語が流行りだした昨今、疫学自体の在り方も変わってきている。栄養疫学も予防医学の発展から注目されてきてはいるものの、玉石混淆としてきている。

井戸から大海へ、目立たなくとも世界の科学に挑戦している日本人研究者は多い。結果はどうあれ、栄養疫学者として世界の土俵に自分はいると納得できることが大事だった。そのために公募に狙いを定めた。

4.日本という選択肢


しかし、結果的に日本のポストに応募することはなかった。
2011年に震災が起こり、自分自身の経験を生かして日本の復興に貢献する機会が巡ってくればそれも運命と思っていた。しかし公募を見ると、その時点で条件を満たせるものは少なかった。また、とある日本の学術雑誌が定期的に届いて公募の案件を見つけても、手元に届くころにはすでに公募の締め切りが過ぎていた。こんな調子が続き、日本のポストへの関心はやがて薄れていった。

留学すると就職が困難になるとよく聞く。しかし、それは日本の就職先を考えた話で、日本のシステムや人・産官学のネットワークに通じる経験や機会が少ないのが主な理由だろう。それは留学に伴う当然の制限であると考える。
日本での職を見つけるのなら、日頃から人的ネットワークや情報網の構築に余力を注いでおかねばならない。そういった理由から、留学先から日本への就職となると、わりと踏み込んだ情報収集が必要になるだろう。
留学することはつまり、雇用の市場が世界になる。そういった意味で日本への就職は難しくても、世界が市場だという事を実感していたので特に気にはならなず、寧ろ徐々に安堵に変わっていった。


5.当たって砕ける。


一般的に研究者が就職先が無いと嘆くのは雇用機会が少ないからかもしれない。しかし、自分が活躍できる場を狭く見積もっているだけかもしれない。どの応用領域でも自分は生きていけるはずだ、就職活動の中で幾度もそう思えない瞬間がやってくるのは、可能性に対して臆病になり視野が狭くなるからだろうか。新興領域の小さな研究機関に所属するなら自分も組織を大きくすることに夢を馳せる。きっとベンチャー企業に勤める人や起業家はそんなロマンがあるのだろう。

漠然と考えを巡らせながら最初に注目したのが感染病の研究グループの公募だった。ここ10年で台頭してきているグループで、自分の領域である栄養学や心臓の病気等の研究への関与はほぼ無かったのだが、それでも相手がどのような人物を求め、自分がどう貢献できるかなど思案し、それに従って書類を用意し送った。その過程だけでもよい経験だった。

現代においては、例えば過去に難治性だった疾患も医療の進歩により治療が奏功し慢性疾患として長期間治療を受けるケースも増えてきている。たとえばAIDSがその典型であることはわかっていた。自分の疫学の知見が役立たないわけがない、自分を雇わないなんて先見性が無いだけだ。時にはほんの瞬間そんな強気なことも考えてみたりもした。

書類の選考は通った。次は3人の教授と30分の面接。スカイプを使って10分のプレゼンテーション、そして20分の質疑応答だった。2日に渡ってまとめて面接をするという予定があったことは公募要項から判っていたので、おそらく15人程の候補者がいただろうか。畑違いの自分をその枠に入れてもらえただけでも光栄に思い多少の自信となった。有力な研究機関の教授が3人も集って時間を確保し、話ができるとはまたとない機会であるし感謝の念を抱いた。そして少々大袈裟だが、その3人の教授が自分に賭けるのなら自分も腹をくくった。

ウェブを通じた面接を終え、翌週、不採用のメールが届いた。これが俗にいう「お祈りメール」かと思わずにやりとしてしまった。実際に面接では、自分の経験不足もあったが、それ以上に相手の求める研究者と自分とのズレがディスプレイ越しにも伝わっていたので、その結果には驚かなかった。

しかし、ポジションに応募する際の準備、ウェブを通じての面接(詳しくは第6回)など、得たことが多かった。そして異なる研究領域、今回では感染病医学の領域でも可能性を手繰り寄せることができることを知った。

今思えば、この初めての機会が自分の専門にどんぴしゃりなポジションだったとしたらと振り返ると恐ろしい。きっと自信を失い、希望が絶たれた様に感じ直ぐにはダメージから抜け出せなかったかもしれない。時々その様に自分を回想するのだが、その点からしても「とりあえず始めてみる」「ダメでもいいから」というのは当初考えた以上に必要なことであったと思う。

その応募先でどう活躍できるか、その考えに従って自分は何がアピールできるのか、欠点をどう補ったり魅力に変えるか、そんな考察は四六時中欠かさないのが良い。また面接時の緊張感、教授数名を前に心臓は縮むのか高鳴るのか、それに影響され自分の質疑応答での瞬発力などが人生の分岐点でどうなるのか、そうしたことは経験しなくてはわからなかった。そして私自身は特にそんな実体験が必要なタイプだと痛感した。

公募の枠に応募して、返事が来なかったり、インタビューに誘われたり、次第に就職活動に対する考えも変わった。全てを投じても、それまでの経験や業績が変わるわけではない。自分を繕わずにアピールして、それでも自分が求められている人材でない、あるいは自分よりも相応しい人材がいるのなら、早く断りの連絡が欲しい。そんな風に思えるようになった。通常の仕事と並行して進めた就職活動も、次第に肩の力を抜いて臨めるように
なっていった。その間、教授にも良い経験を積んでいることを伝えた。

そして10月、ケンブリッジ大学の枠が公募で出ていることを知る。

(第3回へ続く...)

第1回 あなたがハッピーになるため
第2回 自分を繕わずにアピールして
第3回 勢い余って話し過ぎないこと
第4回 Keep Calm and Carry On
第5回 対面面接のヒント
第6回 話し方とオンライン面接を考える

 

執筆者プロフィール


今村文昭 (Fumiaki Imamura)
Investigator Scientist
MRC Epidemiology Unit
Institute of Metabolic Science.
University of Cambridge School of Clinical Medicine

略歴
BS at 上智大学理工学部 化学科 理学士
MS at Columbia University College of Physicians and Surgeons,
  Institute of Human Nutrition
PhD at Tufts University, Friedman School of Nutrition Science and Policy,
  Nutritional Epidemiology Program
Post-doc training at Department of Epidemiology,
  Harvard School of Public Health

image courtesy of phasinphoto / FreeDigitalPhotos.net
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発行責任者: 石井 洋平
編集責任者: 日置 壮一郎
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