2013年11月24日日曜日

アメリカ理系大学院留学を実現させるためのノウハウ ~修士・Ph.D. 課程の選択~

※今回は過去のメルマガから人気の記事(2010年10月 Vol.53)をピックアップして配信しています。

10月を担当させていただく今村文昭です。皆様、日米はともに連休だったかと思います。どのように過ごされましたでしょうか?ボストンは紅葉がすばらしく、快晴で、とても快適でした。

今回の記事も、先月の青木さんの紹介に引き続き、「理系大学院留学 -アメリカで目指す研究者への道」から、「修士・Ph.D. 課程の選択」について紹介したいと思います。また、本に記載された内容に加え、私の経験によるちょっとした考えを紹介したいと思います。

大学院留学を考えておられる方、興味のある方にとって何らかの参考になれば幸いです。


アメリカ理系大学院留学を実現させるためのノウハウ
~修士・Ph.D. 課程の選択~

修士・Ph.D. 課程の選択


 修士・Ph.D. 課程の選択については、まず、日本とアメリカの修士課程の違いを認識する必要があります。日本の修士課程では、授業はあくまで卒業単位取得のために受けるものであり、基本的に研究が中心です。

 一方、アメリカでは、修了条件に修士論文が課されないプログラムも多く存在します。授業によっては、ファイナル・プロジェクトと呼ばれる、その授業に関連した研究課題に取り組む場合もありますが、日本とは異なり、研究が中心のカリキュラムではありません。

 従って、アメリカの大学院で研究することに主眼をおくのであれば、Ph.D.課程を選んだ方が良いでしょう。

 ただしアメリカの大学院では、Ph.D. 課程であっても授業に割く時間は日本より多くなるため、研究のみに専念したい場合は、日本で博士号を取得後、ポスドクとして、アメリカへ研究留学するという道もあります。

 アメリカでは、このようなプログラムの特徴(修士課程:ほぼ授業のみ、Ph.D. 課程:授業+研究)があるため、どちらを選択するかということが、学位取得後の進路と密接に関わってきます。

 アメリカでの就職を考えるなら、修士のみ修了した場合では、高校の先生、投資銀行、特許事務所、コンサルタント会社、研究支援産業の営業、販売促進と、研究には直接関わらないポジションとなる可能性が大きいでしょう。

 修士取得後に研究職に着任する場合は、Ph.D.取得者の下で働く必要があったり、技術補佐員(technician)扱いだったり、待遇面や権限の違いが生じる可能性が高いので、それらも考慮に入れた上で、自分に合ったプログラムを選ぶ必要があります。

 一方、Ph.D.を取得しておくと、社会的に一人前の研究者とみなされるので、製薬企業、シンクタンク、製造業、国立研究所、大学など、直接研究に関わるポジションに、それなりの権限を持って就職する傾向にあります。もちろん例外もあって、修士卒業でもかなり優秀な場合は、企業や大学においてPh.D.取得者と同じようなポジションで研究している人もいます。

 注意点として、日本ではどの分野においても、修士・博士の両課程がありますが、アメリカの場合、特に生命科学系などにおいては、Ph.D. 課程しか存在しない場合があります。

 また、Ph.D. 課程では財政援助が一般的であるのに対して、修士課程ではその人数が限られていたり、財政支援があっても、Ph.D.課程のものには及ばなかったりする場合もあります。修士論文の提出が必要とされない、授業履修のみで修了できるプログラムの場合、財政援助は非常に限られている、と考えた方がよいでしょう。

私(今村)の経験による事柄

上記のように、研究者としての価値、卒後の就職に、修士課程を出るか、博士課程を出るかは大きく異なってきます。基本的に、米国において修士号のみ持つ人が研究者としてみなされることはほぼ無いでしょう。

 では、研究者を目指す人にとって、修士課程の価値とはなんでしょうか。

 種々の案があるかと思いますが、私は修士課程は専門性を定める分岐点として価値があると思っています。

 私は、日本で理工系の化学を専攻しておりました。(それこそ先日、ノーベル化学賞を受賞された北海道大学の鈴木章名誉教授と米パデュー大学の根岸英一特別教授が確立された領域です。)

 私は理工系の道を外れて、生命科学系の応用分野に貢献できる領域で研究したい・・と思い、北米の栄養学の修士課程に進みました。

 私は研究者にはなりたいと思っておりましたが、実は、どういう研究がしたいという具体的なアイデアは無かったのです。とにかくも、化学を生かせてなお、一般社会に貢献できる領域と思っていました。栄養学・環境学など、頭にありました。

 そして修士課程において北米大学院レベルの教育課程で栄養疫学という領域に惹かれその道博士を取る道を選びました。栄養疫学、および疫学は、日本では教育課程も歴史の浅い領域ですので、結果的に大正解でした。

 私はそんな道を歩んできたので、米国の修士課程について、私がそうだったように、「研究者になりたいが、学士を取った時点で自分の道を決めたくない/決められない」という人にとって向いていると思っています。

 研究者を志す人にとって、専門領域分野を変えたりすることには、やはりリスクが伴いますが、北米の大学院は、強い意志と(潜在的な)実力があれば、専門領域を変えることは容易です。

 北米大学院の修士課程では、多様な選択肢を思い描くこと、さらにいろいろな志を持った人が同じ学を修めることを可能です。北米の大学院の1つの魅力ではないでしょうか。


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執筆者紹介
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今村文昭
上智大学理工学部化学科卒業(2002年)、コロンビア大学医学部栄養学科修士課程卒業(2003年)、タフツ大学フリードマン栄養科学政策大学院栄養疫学博士課程卒業(2009年)、2009年よりハーバード公衆衛生大学院疫学部門にてPost-doctoral Fellow、2013年よりケンブリッジ大学Medical Research Council の疫学部門にて研究者として赴任
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2013年11月16日土曜日

UCL大沼教授インタビュー後半「イギリスで研究すること」




カガクシャネットヨーロッパ支部は2013年8月18日にそんな大沼教授にインタビューを行い、前半部分で大沼教授の、若い世代の日本人へ向けた活動の動機や、現在に至るまでの教授のキャリアについて伺い(インタビュー前半:「海外に出て研究することの意味」)、今回の後半部分では日本とイギリスの研究の質の違いや外の世界に挑戦するためのアドバイスなどを伺いました。

大沼教授インタビュー後半「イギリスで研究すること」

イギリスと日本の研究環境の違い

若林:先生が働いてこられて感じていらっしゃるイギリスでの研究環境と日本での研究環境、それぞれの長所はどういうものがあるとお考えですか。

大沼:イギリスは気楽だよね。自由にできて。海外にいたほうが自分らしくいられるような気がする。日本は日本なりのいいところがあるけれど、日本だと多少疲れるよね。例えばUCL関係者だけでも20数人のノーベル賞受賞者が居るわけだけど、その人と話をする時に何も気を使う必要がないよね。日本国内だとノーベル賞をとったら神様みたいになってしまうから同じ感じでは接することが難しくなる。上下関係、年功序列はもちろんイギリスでも同じだけど、それプラスもっと自由にできると思う。

もうひとつのイギリスの利点は研究室あたりのメンバーの数が圧倒的に小さいこと。イギリスは一人のボスが直接面倒を見れる人は生物系に関して言うと6人と言われている。6人以上の人を面倒見れる能力のある人はそんなにいないと。だからだいたい研究室って6人くらいのサイズにデザインされていて、イギリス政府のグラントもPh.D.の学生がその研究室に3人がいたら4人目は基本的に取れないようになっている。研究室あたりにだいたい3人くらいの学生しか一人の教官は責任をもって面倒は見れないと。その代わり教官はそういう人たちは責任をもって育て上げる責任が課せられる。ドロップオフさせてしまうと、その研究室はペナルティで次に学生を受け入れられなくなる仕組みがある。学生にとってみると、教官との質の高いコミュニケーションの取れる指導を受けられるという良さがある。だから我々教官の立場としては、確実に学生がどうやって行くかというかというものをフォローして、データが出てかついい仕事で論文になるように持っていかなくては行けない。

一方で研究のシステム自体をみてみるとなんとも言えない。研究費だけを見れば日本のほうが豊かなことは確かだし、仕事の安定性も日本のほうがいい。そして、日本ではよりたくさんの人が大学院にいけるという点もある。こっちはお金の数しかポジションがないわけだからね。Ph.D.とか本当の数というのは限られてしまって、常に競争に勝たないと勉強さえ出来ない。例えばstudentship対象の学生を募ると200人とかが応募してくるけれど、その中から1人とかしかとれないからね。みんな何箇所にも応募するから確率は簡単には言えないけど、かなりの競争にさらされている。これはイギリス人でさえも皆苦労してるからね。グラントを持っていないPIもたくさんいるよね。

若林:2008年くらいからですね。

大沼:そう。政府の予算がカットになった後とか。ウェルカムトラスト(*1) がプロジェクトグラントを廃止してイギリス全体の生物医学研究費の予算の四分の一がなくなった。そしてそれと同じくらいを占めていたキャンサーリサーチUK (*2) もプロジェクトグラントを止めた。マイナーな領域ではあるけれども、基本的には主要なところはやめてしまって、なくなってしまった。すると、皆が政府の予算や他のチャリティに流れる様になって競争が一気に激しくなった。それに加えて生物医学系は過去20年くらいの間に教官の数が異常に増えた。そういった背景があって生物医学系の人達はグラントがとれなくなってしまった。

これはケンブリッジ、オクスフォード、インペリアル、UCLのレベルでもみんな苦労している訳で、もう少し下のレベルになると、デパートメント全体でグラント一個しかないとか、ポスドク一人しかいないとか、とんでもない状況なところはいっぱいあるみたい。

若林:そうすると、独立した後も安穏とできないというか、常に走り続けるということが必要なのですね。

大沼:まあそれはしょうがないね。ある程度の所までは走り続けていって、ある程度の所まで行ったらのんびりと研究できる安定したポジションを作って欲しいとは思うけどね。60歳くらいになって自分の研究が評価されて、ばりばりお金を持っている人達はいいけれど、そうでない人もいて、それでもフルタイムで研究しなければいけないのはきついよね。だから、それなりのポジションをイギリスも作った方がいいのではないかと思うけどね。

一方で日本では教官は守られているが故の弊害もあるけど、良いかどうかは別として今は色々変わってきているよね。例えば助教がみんな任期付きになった。あれもきついよね。任期付きで5年とか経った後に無条件でクビだよ。中にはあがれる人もまれにいるけれども、研究やっているところなら基本的にはほとんど皆そこでクビになってしまう。

システムとしてアメリカ型のテニュアトラックにして、最初の6,7年はお試し期間として雇って、その期間が終わった時にこれくらいの割合の人は残しますよと言ったら良いと思う。そのテニュアトラックのシステムにしようとしているところはあるけれど、まだ完全にはなっていない。だから助教の人達は苦しんでいるよね。


研究者にとっての家族と生活


大沼:大学の教官って本当に必死に働いているじゃない?一般の人から見たら遊んでいると思われていると思うけれど。そして、死ぬほど働いているけれど給料はそんなに高くない。そんな普通の給料しか貰えないでいて、それでも年取ってからもプレッシャーの中で生きなきゃいけないのはきついよね。そういうのを見てると皆、「研究の仕事でやっていく」という意欲を失うかもしれないね。日本の状況を見ると、準教授、教授になると職は安定するから良いけれど、それでも彼らは死ぬ気で働いているよね。

若林:日本では家族生活を犠牲にしているようなところが、一般にはありますね。

大沼:だから、ある程度のところになったら、家族生活を普通に維持していけるようにしないと。だから、統計的にはわからないけれども、日本の大学の教官というのは家族がたくさんいて研究と両立している人は少ないと思う。そういう点ではイギリスでは家族に時間を使うのは当たり前だという概念になっているからいいよね。ケンブリッジに最初に行って驚いたのは、色んな重要な会議があっても、子どもをピックアップしたりということがあると優先的に会議を出ていって構わないという。日本だったら「なんだ、会議に真面目に出ないで・・」とか言われるじゃない?それが、こっちだと「なんでそんな時間に会議をオーガナイズしたんだ!」と、オーガナイザーの方が怒られるわけじゃない?その辺が違うよね。

だからここでは女性も多くの人が研究室を持てる。UCLも半分くらいが女性だからね。ケンブリッジにいたときも教官は半分くらい女性だったし、女性でも全然困らないという。僕と同期で入った女性の教官なんて6年の間に4人子ども産んだもんね。イギリスではそれらを両立してやっていける。

若林:それがシステム、制度としてサポートされているのですね。それが当然になると働く女性のストレスがなくていいですよね。

大沼:うん、こちらではストレスは少ないと思うよ。

若林:日本でも少しずつ方向は変わってきてはいるけれど、家庭を維持しながら仕事をする為には、まだ女性は職場で戦わなくてはいけないというのがあるように思います。

大沼:日本で教授をしている女性はそれなりにいるけれど、家庭を維持しながらやっている人は限られている。独身だったり、離婚していたり、仕事を続けるためには他のものを犠牲にしなければいけないという感じになってしまっていて。本人がそれが好きならば構わないけれども、こういった体制ではみんなが研究やっていこうという方向には行かないよね。

若林:その道に進むか進まないかを考える上で、若い人達はそういった、その道が人生として本当に楽しめるかどうかということを鋭く見ていますよね。


海外に出ていく人たちへのアドバイス

大沼:日本の若い人達は海外に出たらいいよ。だって、能力的には海外で全然教官になれるよ。日本で教授になる方が大変だよ。本当にいいところに凄い数の論文出さないといけないとか。海外だったら結構色んな所の教授のポジションになれる人がいると思うよ。そうやって、海外で自分の好きなことをやらせてもらえるなら、日本を出ればよい。

若林:実際に大学院生をリクルートする時に、アプリケーションが来る際に、日本人、イギリス人、中国人など、国別に特徴をなにか感じますか。その特徴はどのように選考に反映されますか。

大沼:皆、長所短所はあって、基本的には研究テーマに応じてベストな人材を選ぶ。例えばPh.D.の学生のポジションは日本とは違って、僕らはグラントをとらないと学生は取れないので、もうテーマは決まっているから、それに最適な人材を選ぶという形。そこには国籍による優劣は感じない。重要視するのは、ひとつは面接。自分の意見や考えをきちんと表現できて話がきちんとできて、高いモチベーションを持っているかどうか。それに加えて、うちの大学院に入る前段階で、学部などでどのくらい論文を書いているかということが大きな選考基準になる。実験をなんとなくダラダラやる人はいっぱいいるけど、それをまとめて論文にすることがいかに違うかということを多少でも理解している人じゃないと難しい。

だから仕事をまとめて論文にする能力が重要。学部時代はボスの影響も多いけれども、やっぱり優秀な人達はそれなりの論文を書いている。例えば最初に一緒に仕事をしたマスターコースの学生は、学部時代にネイチャーで書いているし、彼は僕と一緒にCellに論文をだして、そのあとハーバードでドクターを3年かからずに終わらせて、その間にネイチャーセルサイエンスなどを3,4報書いててやはり目立って出来る。本当の能力のある人達を探し、そしてその人をいかに更に伸ばしていくかというのが我々の仕事。そこで日本人が海外の大学でPh.D.で純粋に入りたいとしたら、自分のことをきちんと出来る人ではないとこっちの競争で選ばれづらい。

若林:先生のご経験から、志望してくる日本人の学生の弱みをあえて指摘するのであればなんですか。

大沼: 面接の能力というのは日本人は基本的に英語がハンディキャップになっていたりするから、そこにおいて本当に優秀かどうかはこっちの人には完全には分かり得ない。だからこそ、そういう人たちを支援してくれるようなstudentshipとかがあればいいとはおもう。今我々は150周年記念事業(インタビュー前半を参照)で、イギリスに留学する学生にいくらか支援できるようなフェローシップを作りたいとは思うけどなかなか難しい。政府が出すのが一番いいのだとはおもうけれど、そういう意識はまだ少ないね。色々な人はそう思って入るけど、現実としてはなかなか動かない。

だけど、それ以上に大きな弱みがひとつある。それは、多くの日本人は個として独立していないこと。もちろん全員ではないけれど、独立していない人達が大多数を占めている。多くの人達は弱いというか幼いというかそういう感じがしてしまう。こっちでPh.D.に入ってきた人達は、最初から独立していて自分で研究をやる。色々なことをやっても自分の責任で自分でかたをつけることができる。例えば学会発表とか行くときに、日本の大学だと発表の練習だとか色んなことをやるじゃない?こっちではやらないよね。基本的には個々に任せているから、学会に行くときにボスが一緒に学会に行くこともないし、勝手にお前行ってこいという感じで。だから個々がね、日本はまだ幼いね。

若林:一方で、先生が見たところは、サイエンスの能力に関しては変わらないということですね。

大沼:ただ、教育の影響を受けて一つ違うのは、欧米の子どもの方がものを考える能力、ものを文章にしたりとか、発表したりとかの能力は上だね。ただこれはもちろん根本的に能力の問題ではなくて、トレーニングの有無の問題。日本人は記憶して、正確な答えを書く能力は上だよ。欧米人は、覚えろと言う教育はしていないから、そこが違いなのかなっていう気がする。

若林:今の高校生、大学生がそんな弱みを克服するためにはどうしたらよいとおもいますか?

大沼:難しいね。もっと前の段階から違うからね。だから我々は少しでも彼らに経験を持たしてあげようと思って色々やっている。例えば毎年ケンブリッジでサイエンスワークショップ(UK-Japan Young Scientists)をやっていて、そこでは今年は30人くらいかな、日本から高校生が来て、こちらの高校生とミックスして6人くらいのグループを10個くらい作って一緒に何かをやらせる。予めテーマというか好きな話題を聞いておいて、例えばケミストリーが好きな人はケミストリーのデパートメントに行って一週間くらい実験をしてもらう。生物系は生物のラボに行って、数学の人は数学で。そうやってイギリス人の高校生と一緒に実験をして最後に発表会をやらせる。最初の日は日本人はやっぱりおとなしいね。でもね、一週間経つと全然別人になるよ。そういうちょっとした経験でも変えることはできるのかなと。中には「よし、今回面白かったから、海外に留学してみたい」といって、「どうやったら行けるのですか」という具体的な話にもなったりする人も出てくる。現実的に本当に決まる人はいないけれど、でも興味を持ってくれる人達は出てくる。

若林:多分そういう早い段階でそういうインスパイアされる経験があると、そこからその人の成長の微分係数がぐぐっと大きくなって変わるということがあるのですかね。

大沼:それでも我々ができるのは本当に微々たるもので。数十人しかできない。だからこそ、根本的に日本国内で何かを変えてくれないと結構難しいのかなと言う気もする。

若林:最後に今の若い人達へのメッセージをお願い致します

大沼:何を言ったら良いんだろうね。日本は国際社会の一員であるわけだから、その中で活躍することも選択肢の一つとして持ってくださいということですかね。

若林・江口:今日はありがとうございました。




*1: ウェルカム・トラスト: イギリスに本拠地を持つ医学研究支援等を目的とする公益信託団体。民間団体としては世界で二番目に裕福な医学研究支援団体。トラストの使命は、人および動物の健康増進を目的とする研究を助成することにある。また、生物医学研究への資金提供に加え、一般の科学理解を深めるための支援もしている。

*2: キャンサーリサーチUK: 英国の大規模医学研究チャリティー機関。バイオメディカル研究チャリティー機関として、研究助成額がウェルカム財団に次いで英国で二番目に大きく、多くの大学の研究者がCRUKから研究助成金を受けている。



プロフィール

大沼信一教授 略歴
東北大学化学系を卒業後、生物有機化学を学びバイオテクノロジーの分野における研究に従事した後に、University of California, San Diegoに留学し脳神経科学の研究を始める。翌年ケンブリッジ大学に移り発生生物学を専門とし、その3年後に癌学部に新設されたHutchison/MRC Research Centreでグループリーダーとして独立。2007年からはUCLの眼科学研究所で教授。

インタビュアー

江口晃浩
カガクシャネット スタッフ。計算神経科学の分野で、2012年よりオックスフォード大学にて博士課程に在籍。ブログ「オックスフォードな日々

若林健二
カガクシャ・ネット 副代表ヨーロッパ代表。医学研究に携わり、2011年インペリアル・カレッジ・ロンドンにてPhDを取得し。現在は東京医科歯科大学グローバルキャリア支援室特任助教。



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2013年11月11日月曜日

UCL大沼教授インタビュー前半「海外に出て研究することの意味」



ユニバーシティカレッジロンドン (UCL)の大沼信一教授は、眼科学研究所の教授として研究をされる傍ら、「どうすれば日本を真の国際化に導けるか」というテーマのもと、最近の日本における若者の内向き志向、海外離れに歯止めをかけるべく様々な活動に取り組まれていらっしゃいます。大沼教授は日本で大学・大学院を卒業された後アメリカに渡り、その後イギリスに移ってキャリアを重ね、ケンブリッジ大学で独立し、現在はUCLで研究と教育を行っています 。研究分野も有機化学から始まり、バイオテクノロジー、発生生物学、癌研究、眼科研究と渡り歩いてきた異色の経歴の持ち主でもあります。

カガクシャネットヨーロッパ支部は2013年8月18日にそんな大沼教授にインタビューを行い、前半部分で大沼教授の、若い世代の日本人へ向けた活動の動機や、現在に至るまでの教授のキャリアについて伺い、後半部分では日本とイギリスの研究の質の違いや外の世界に挑戦するためのアドバイスなどを伺いました。

インタビュー前半:「海外に出て研究することの意味」

国際社会における日本の役割・日英学術交流150周年記念事業

江口:大沼教授は研究の傍ら、日本の学生達の留学促進などのボランティア活動を精力的に行われていますが、それはいったいどんなモチベーションに基づくのでしょうか。

大沼:モチベーションは、あまりにも今の状況が悪すぎると感じているところにあるかな。日本人の若い人たちが海外に出ないということが顕著で、若い人で国際社会で活躍しようという意欲のある人達がほとんどいないと感じているから。海外に出たとしても、そのほとんどが日本に帰ってしまう。個人的な意見で言うと、日本人も国際社会の一員な訳だから、国際社会の一員としての義務を果たすべき。日本も国際社会の他の皆と一緒になって、一員として国際社会全体を繁栄する方向にもっていかなくてはいけない。そういう国際社会のリーダーに成りうるような日本人をもっと増やさなければいけないと思っているんだよね。

国際社会で、各国の人たちと英語で対等に話しやっていける人をどのくらい日本の政府は作ればいいかという話は、日本国内でもいろいろな話があって、ある意見で言うと、もし日本人の一割が英語で普通に会話ができるようになって、4%ぐらいの人が国際社会で活躍するようになれば、500万人位の日本人が海外に出て国際社会で貢献できるくらいの社会になるという。そして、そうすればイギリスやアメリカなどと同様なバランスになると言われている。今の日本はそういう状況には全くなっていない。

少なくとも我々アカデミックで研究する上でおいて、例えばハーバード、ケンブリッジなどの全てのデパートメントに中国人やインド人の教授がいる。彼らは人口が多いということもあるけど、今はかなりのところに韓国人の教授もいる。一方で、日本人の教授はほとんどいない。また例えばビジネスの世界においても、日本の、特に国際化が必要な大手企業のほとんどには外人の取締役がはいっている。でも、欧米の大手企業で取締役をやっている日本人の話はあまり聞かない。何故こういうことが起こるのかというと、そこには理由がある。

国際社会の仕組みの根本を考えてみると、例えばケンブリッジ、オックスフォード、ハーバードなどのクラスメート達がそこでネットワークを作っていて、色々な所で会社等の良いポジションを皆でシェアしあっているという現実が少なからずある。問題はそこの段階に日本人がなかなかはいっていけないこと。そんな現状があるからこそ、学部くらいの若い段階で世界の将来リーダーになるような人たちが集まるようなところにまずは日本人を送り込むということが重要なんじゃないかと思う。

日本人は他の国でもやっていけるくらい充分に優秀であることは明らかなので、それを活かしていないのはもったいないと思うね。だから、政府がもっと戦略的に「海外に出る」「出た人に海外でポジションを取る」ということをエンカレッジしてくれたらもっといいかもしれない訳だよね。でも残念ながら簡単にはそうはならないね。今のこうした状況から抜け出すためにも、少しでもどうにかして何か手伝えることがないのか、というのがこの活動の大きなモチベーションになっているね。



江口:今年は特に、長州五傑の渡英150周年ということで、大沼教授を中心に様々な記念事業が企画されていますが、それらも同じモチベーションに基づくのですか。

大沼:そうだね。現状を打開するためにはどうすればいいかといういろいろな方法を考えて実行していかなくてはいけない。考えているだけでやらなければ意味はないので、この150周年というのは、日本の若い人が海外に出るという事に興味をもってもらうためにはある意味では最もいいチャンスなんだよね。日本がまだ鎖国をしていた江戸の後期、経済には問題があり、国内戦争も勃発寸前。海外の人達は開国をせまり、国内は議論でも揉め、海外とは部分的に闘ったり。この時代は今ととても似たシチュエーションなんだよね。

その時代に、薩摩や山口、長州の人達、また江戸幕府の中でも「我々は国際社会の中で生きていかなくてはいけない」と気がついた人達がいた。そのためには国際社会の仕組みや新しい技術を早急に取り入れなくてはいけなかった。どうやったら日本がその後成り立っていくのかというそういう視点に基づいて彼らは戦略的にやったんだよね。だからイギリスと組んで、それを上手くやっていくことを考えたわけだよね。

若林:この話で興味深いのは、まず薩摩の人たちがきて、その後に長州の人たちがきて、国内では犬猿の仲であった人たちが海外に出ると学閥、この場合は藩閥を超えて「日本」を意識し始める。日本の細かい枠組みの中では対立があっても、外に出ることで日本の中で設定されている枠組みからフリーになってもっと大きく考える様になるんでしょうね。

大沼:海外にいると外から客観的に見るようになるからね。彼らの後には江戸幕府さえも続いてこの次の日本をつくろうという流れにつながった。日本国内にいてずっと研究をしていたら、自分の企業や大学、デパートメントのことしかやらずに一生終わることもある。海外に出ると日本全体のことを考えて物を見られるようになるから、だからもっと大きな枠組みで物事を考えるようになる。彼らも海外に出て、海外から日本全体として日本という国がどうなっていくかということをみたから、日本全体を救うために彼らが日本を作れたんだよね。あれを日本国内の人たちがやったら、戦国時代のようなものが続くだけだったかもしれない。

何故今、海外留学なのか

大沼:驚くことに明治初期の時代に留学していた日本人は2万人くらいいるからね。そんなにも多い人が留学していて、そういった彼らが今の日本を作ったという歴史がある。その時代、彼らは日本が国際社会の中で確固たる地位を確立できるために交渉に駆け巡り、国際社会の色々な機関に戦略的に日本人を送り込んでいる。そうして日本という世界の列強の一つを創りあげたからこそ、今の日本がある。だから今の日本が、国としてどういった方向でいかなくてはいけないかというビジョンをもう一回見なおすという意味で、この150周年というのは最適な機会なんだと思う。これを通じて多くの若い人たちも、国際社会の中で生きるということの重要性に気づき、「俺も同じようになりたい。」と思ってくれたら何よりだと思う。ただ、なかなか難しいのかもしれないけどね。

江口:それはなぜ難しいのですか。

大沼:今の日本の環境では、若者がそういったことにモチベーションを見出すことが難しいんじゃないかと思う。例えば日本人の高校生に「あなたは日本の総理大臣になりたいですか。」と聞いて、いったい何人がなりたいと答えるのだろうか。少なくともアメリカだといるとおもうんだよね。日本はどうしてもサラリーマンや公務員のような安定した仕事に就きたいという人の割合が多く、「将来自分は日本を担っていくんだ」という人が少ないんだと思う。

江口:江戸時代に密航は死罪と知りながらも、命を賭けてまで国を背負って飛び出していった若者たちは、今の人達とは何が違ったのだと思いますか。

大沼:本質的に何かが変わったのではなく、環境さえ変われば日本人はやるんだよね。例えばサッカー選手の場合、日本で活躍する選手に「海外でプロ選手になりたいですか」と聞くと恐らく多くの人は「もし機会があればやりたい。」と言うと思う。或いはフランス料理などの料理人の場合、「フランスで修行したいですか。」と聞けば、彼らもやはり「やる」と答えるのだと思う。だから今の若い人が、本質的に海外に絶対出ない、という流れでもないと思う。学術分野で外に出ていくことに関しては、はっきりとしたビジョンが見えづらいような環境にあるのだと思う。

若林:料理人やサッカー選手は個人として独立した職業である一方で、組織に属しているようなアカデミアの人たちはコネクションが切れてしまうことを恐れ、それが踏み出せない理由に繋がるのかもしれませんね。

大沼:料理人であっても、海外にでたらそういう意味でのコネクションは切れてしまうと思う。向こうで活躍して有名になって戻ってくるから次のいいポジションがあるわけで。大学関係だって、本当はアカデミックで海外をでて日本とのコネクションが切れるわけでもなんでもない。実際には海外に出た人のほうが明らかに日本国内に戻った時にアカデミックポジションを取れる確率は圧倒的に高いと思う。日本国内でドクター、ポスドクをやった人で一体何%との人がポジションを取ることができるだろうか。僕は、海外に出た人たちはほとんど皆とれていると感じている。

若林:カガクシャネットのメーリングリストなどで、日本の学部生たちから「海外に出てしまうと日本に帰れなくなってしまうんでしょうか。」というような質問も多いのですが、どのようにお考えですか。

大沼:その概念を一体誰が作っているかが問題だよね。それは全くないと僕は思う。よっぽど悪い大学や、海外に遊ぶことを目的で来るような人たちには難しいかもしれないけれども、欧米の大学に留学して本当に就職がなくて困っている人はいないと思う。UCLやケンブリッジに留学して、どこにも帰るところがないという人を少なくとも自分はみたことがない。大体の人は日本に助教として戻って、数年後に准教授になって、そして気づけば教授になっているなんていうのがほとんど。帰国後すぐに教授になる人もいる。それが現実なのになぜか逆の印象を持たれがちなんだよね。日本人に情報提供しなくてはいけないと言うじゃない?たとえば今誰かが、国内出と海外出のポスドク、アカデミックポジションを取った人の数を比較した統計を出してみるのは面白いかもしれない。明らかに外を経験したカガクシャのネットのメンバーの様な人のほうが日本国内でポジションをとっているんじゃないかな。

多彩なキャリアの歩みを振り返る

江口:こういったような現状の認識は、大沼教授はUCSDに行かれた時にはすでに持っていましたか?

大沼:その時はまだ若いから、自分が何をやりたいかというものが主だったね。でも、若い人はそのほうがいいと思う。自分が本当にやりたいこと。自分は何をやりたいのか。僕は工学部で助教をやってた時に人生において今一番大きなチャレンジングな仕事をしたいと思っていた。そして本当に自分が何をやりたいかと考えてみると、思ったのは2つあってひとつは「脳を作ってみたい」ということ。自分で脳を作ってみて、脳が出来る仕組みを理解したい。コンピュータ関係のニューロサイエンスではなく、個体として働く脳を作りたいというのがあったんで、脳を作れる研究の基礎をやっているその分野で有名な20~30人ほどの教授にメールをして、すると10人くらいの人がポジティブな返答があった。その中で一番丁寧な長いメールを送ってくれたボスがいて、「この人はよく考えてくれているからここにしよう」と決め、会いもせず電話もせずお金もらう話さえも何もせずに、「では12月に行きます。」と渡米してサンディエゴUCSDで脳の研究を始めた。

もう一つ思ったのは、「癌の治療法の開発を目指したい」ということ。だからケンブリッジ大学に移ってきてからは、脳の研究をやりながら癌との関係をもっと調べ始めて癌の部門で教官になった。今ではUCLで、脳の出来る仕事と癌の教授も兼任するようになった。だから自分でそうやろうと追った方向に無事向かっている。

江口:新しい分野に入る際に不安はありましたか。

大沼:なかったね。すべての学問領域は基本的には同じだと思う。何が違うかというと、そのそこにあるバックグラウンドの知識が分野分野によって多少違うだけであとは物を論理的に考えて論理的に説明して話をできれば同じなんだよね。その知識というのはだいたいどの分野でも一年いればエキスパートになれると思う。例えば大学に入ってマスターコースかなんかで実験始めて、その研究室の一年の勉強で2年生の頃にはもう皆基礎はできているでしょう。その分野を理解するために、たったの1年しかやっていないんだよね。だから次の分野に移る時に一年間気合を入れて勉強すればその分野の知識は全部入るし、後は自分のテーマをどう設定するかを考えて、僕の場合は自分のチョイスでできる所を選んでポジションを選んできた。

若林:先生はだいたい3年毎に様々な所を転々としていらっしゃいますね。3年という期限を最初からさだめているのですか。

大沼:定めていなくて、自分にとって3年というのが新しい分野でいい仕事をできるようになる時期なのだと思う。次に自分が何をやりたいかということを考えるためには、それまでにやっている分野でいい仕事をしないと移っても意味が無い。前の分野でいい仕事をしないで移ると、その分野が合わないからうつったという感じになるわけじゃない。だからその前の分野でいい仕事をして、そのいい仕事をし終わった後に次の分野に進むというのが理想的で、そうなると前の分野でそれなりの数の論文を出さないと意味が無い。だから新しい分野に移って一年ほど勉強して、実験しながら2年目くらいでテーマ決めた仕事をまとめて、3年目くらいに論文をだして、そうすると次に何をしたいかということが見えてくる。

若林:仕事が終わった頃に、自分の中に違うことをやりたいというような気持ちがわいてくるのでしょうか。

大沼:湧いてくると言うよりは、何を自分がしたいかだね。同じ事を繰り返すような人生の無駄はしたくはない。新しい分野、新しい分野、と開拓していく。僕は新しいことやそれに関する知識を頭に入れることが研究者として一番楽しいことだと思う。そのためには勉強して知識欲を満たすことで研究をしたい。だからそこを単純に追いかけてきたら結果として毎年3,4年くらいでテーマが変わってきていた。ただ、これは同じ研究を続けている研究者を否定するものではなく、一つの分野を究極的に追い続けるのもすばらしいと思う。いろいろな研究者がいることにより、多様性が生まれてくるのではと思う。

若林:振り返ってみると、そのサイエンスに対する強烈な興味というか、この世界が大好きで大好きでという思いはどういうところから来たのだと思いますか。

大沼:大学4年で研究室に配属になってからだね。3年生までは何をやっていいか、本当にやりたい何かがわからないところがあってね。昔から生物をやりたいとは思っていたけれど、本当にコミットメントしてやろうとは決まっていなくて、研究室に入って有機合成をやってみて、すごく面白いことを知った。朝から晩まで実験室で研究すると結果が出てきて、自分で考えたことがものになって出てくるわけじゃない。4年の時にはボスの助けもあって2つも論文を出せて、やったものが論文にもなるし評価もされるし、これはおもしろいなというその思いが強かった。ただ4年の時から自分が本当にやるものは何かということを常に考えててた。4年に有機合成をやってたけれど、マスターにはそこの研究室の上には上がらなかったしね。

若林:先生ご自身の中で4年生時の指導教官こそが自分の興味を着火してくれた人だったんですか。

大沼:ボスとは未だにメールでやり取りしているし、この前も遊びに来てくれたり、講演会をやるというと来てくれたりしてとてもいい関係。メンターとして影響を与えてくれた人は当時のドクターの学生だったかな。彼のボスがいい指導教官だったし、彼は研究が全て生活の一部のような感じの人だった。

指導する立場になって

若林:先生ご自身で、指導されている学生も多くなったわけですよね。先生ご自身の中で下の人を見る時に心がけていること、こういった指導をしようとか言うような信念は自分の中で何かありますか。

大沼:基本的には我々は研究者を育てようというのが趣旨なので、日々のディスカッションや色々なタスクを与えるから最初は皆一年目は苦労するよね。2年目、3年目になると、もう完全な研究者になって、ここまで変わるかな。と思うくらい皆変わるね。ドクターで入ってきた学生を見ていると、一年目と最後の四年目では研究者という意味で全く別人になるわけなんだよね。

若林:自分の下にいる人達を自分のところにおいて置きたいというような思いはあるのですか、それとも巣立っていくことを喜びと感じるのですか。

大沼:抱えておきたいという気持ちは全くないね。東北大で教えた時も、例えばマスターの人がドクターに上る時に残れとは言わなかったね。むしろ外に出ろと言っていた。一人はオックスフォードに行ったし、国内の他の大学に行った人も結構いたし、優秀なのは出たほうがいいと言っていた。日本は保守的で同じ人を自分の周りにとどめておこうという流れがあるじゃない。それはいいところもあるけれど、個人的にはそうはしていなかった。こっちでも残った人は誰もいないし、皆どこかに出て行く。

若林:それは先生ご自身の経験の中で色々な人と接していくということが研究者としての成長として重要という認識があるからでしょうか。

大沼:なんとも言えないよね。人によると思うけど、私としては常に回転して、新しい人を育ててまた次の人をとって、それが自分の仕事だと思っているところがある。


..インタビュー後半「イギリスで研究すること」に続く(追って公開予定)


プロフィール

大沼信一教授 略歴
東北大学化学系を卒業後、生物有機化学を学びバイオテクノロジーの分野における研究に従事した後に、University of California, San Diegoに留学し脳神経科学の研究を始める。翌年ケンブリッジ大学に移り発生生物学を専門とし、その3年後に癌学部に新設されたHutchison/MRC Research Centreでグループリーダーとして独立。2007年からはUCLの眼科学研究所で教授。

インタビュアー

江口晃浩
カガクシャネット スタッフ。計算神経科学の分野で、2012年よりオックスフォード大学にて博士課程に在籍。ブログ「オックスフォードな日々

若林健二
カガクシャ・ネット 副代表ヨーロッパ代表。医学研究に携わり、2011年インペリアル・カレッジ・ロンドンにてPhDを取得し。現在は東京医科歯科大学グローバルキャリア支援室特任助教。


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