2014年9月28日日曜日

英国オックスフォード大学留学 第3回

前回に引き続き、山田倫大さんにオックスフォード留学について語っていただきます。今回は、前回に続き生活についてです。イギリス留学を考えている方には非常に参考になる情報です。ぜひ参考にしてみてください。



2.3.気候

気候に関しては、夏は平均最高気温が約20度、冬は平均最低気温が約マイナス2度と、比較的過ごしやすいと言えます。しかし注意点として、夏場には時折30度近くとなる日があり、ほとんどの部屋に冷房が設置されていないため、日が直接差し込む部屋などは暑くなり過ぎるということがあります。このような場合、住人は研究室や図書館、カフェなどに避難しているようです。また、曇りがちで雨の多い気候も特徴的です。何日間も雨が降り続けるというよりも、天気が変わりやすく、どんよりとした曇りの中断続的に雨が降ります。店に入ったときは晴れていたのに数分後に外に出たら雨が降っていたということが珍しくありません(そしてその店が雑貨店の場合、傘を購入することになります)。そのため、こちらでは雨が降っていても傘を差さない人が多く、留学生や観光客との区別が容易です。

英国の特殊な天候は世界的にもよく知られているようで、「英国人は天気の話題が大好きである」と言われ、さらに「英国に観光客が多いのは独特の天気を体験するためである」というジョークまで存在します。しかし晴れの日もそれ程珍しくはなく、特に春から夏にかけての季節は気持ちの良い日が多いです。日本の梅雨や蒸し暑い夏を考えると、一年を通してこちらの方が過ごしやすいと言えるかもしれません。また雨や曇りの日が多い環境はどうしても自宅で鬱々と考え事をすることにつながり、それが英国の学問や文学の輝かしい地位を築き上げた要因の1つであると考える人もいます。学問の街オックスフォードにとって、この気候はむしろ強みと言えるのかもしれません。

2.4.治安・人種差別

学生の街ということもあり、比較的治安のよい場所であると言えます。大学院生の半数以上を留学生が占めるという国際的な環境もあり、あからさまな人種差別を受けたこともありません(逆に日本人は珍しいため、様々な機会に興味を持って話しかけてもらえることも多いです)。

2.5.余暇活動

オックスフォードは比較的小さな街であり、ロンドンのような大都市ならではの大規模なショッピングエリアや劇場といったものはありません。しかし大学と街が混在しているため、学生が徒歩で行ける距離にレストランやパブがあります。友人と気軽に食事に出かけることのできる環境は嬉しいです。オックスフォードには歴史のあるパブがいくつもあり、特に週末の夜は人々で大いに賑わいます。

また小規模ながら劇場や映画館も存在し、コンサートやオペラ、バレエなどが定期的に上演されます。特に英国の大建築家クリストファー・レンが設計した美しいシェルドニアン・シアターでは、頻繁にクラシックコンサートが開催されています。また、多くのカレッジがそれぞれの聖歌隊を持ちますが、そのレベルは非常に高く、美しい礼拝堂の中でその歌声を聴くというのは特別な体験です。このような環境の中、芸術に親しむ友人が周囲にいることもあり、こちらに来てから自分にとっても芸術がより身近なものとなりました。

オックスフォード大学では学生のクラブ活動も盛んであり、サッカーやラグビー、クリケットなどのスポーツから、乗馬やバレエ、各種ダンスや射的など、枚挙にいとまがありません。殊にrowingと呼ばれる漕ぎ船競争は有名であり、厳しい選抜とトレーニングを潜り抜けた代表選手は、ケンブリッジ大学と熾烈なライバル競争を繰り広げます。文化的なクラブ活動も多く、例えば知人の影響を受けた自分は、最近ワインテイスティングイベントに顔を出すようになりました。またオックスフォードに来てから、スーツや(日本では一度も来たことのなかった)タキシードを纏うような社交の場に出席する機会が多くなりました。先述のフォーマル・ホールはその典型です。さらに各カレッジは数年に1回ほど、ballと呼ばれる大規模なパーティーを盛大に開催します。ballでは豪勢なコース料理に始まり、コンサートやダンス、さらにはカジノなどが夜通し続き、参加者はこれを朝まで楽しみます。 たかが服装と侮ることはできません。歴史あるホールに正装を纏った紳士・淑女が集う晩餐会は、厳粛かつ華やかな独特の雰囲気を作り上げます。この特別な空間の中で人々の気持ちも高まり話にも花が咲くというものです。またこのような社交の場では、立ち振る舞いやマナーを学ぶよい機会でもあります。
第4回へつづく)


次回からはいよいよ山田さんが所属されているプログラムについてご紹介していただきます。名門オックスフォード大学のプログラムはどのようなものなのでしょうか?ご期待ください。

image courtesy of Serge Bertasius Photography
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2014年9月12日金曜日

人として、科学者として、成長できた大学院留学

1.留学をするきっかけ

私がアメリカの大学院で博士号を取ると決めたのは、大学3年生の時でした。当時の私は研究室に配属になったばかりで、研究がどんなものかも理解していなかったですが、何か一つのことを極めたい、全く違った環境に身を置いてみたいという願望は子供の頃から強く、その当時の指導教官の「それならアメリカで博士号とったら?」という一言に即座に反応して、あまり迷うこともなく「ではそうします。」と留学を決意しました。今思うと大きな決断をあまりに簡単にしてしまったなあという気持ちはありますが、英語力はどんな仕事をする上でも役立つこと、アメリカの大学院では学生でもお給料がもらえるというのが留学を決意するのに後押ししていたと思います。


2.留学中の生活

授業

私の在籍した大学院では、最初の1~3年は授業を受けることが必須でした。渡米後、すぐに授業は始まりました。そこで出てきたのが英語の問題です。英語はTOEFL対策で勉強もしていましたし、それまでにも短期語学留学をしていたので、正直そこまで心配はしていなかったのですが、いざ授業が始まってみると、教授の話すスピードは早く、また教授によってはすごくカジュアルな表現を使って話すので、試験に出るような英語を勉強してきた私にとって、理解するのは非常に困難でした。教授の言う冗談に気づかずクラスメートが笑って初めて冗談だったと知ることもしばしばありました。最初のセメスターは授業を録音して聞き直したり、教科書を読んだりと自習の時間がかなり多かったです。平日の夜、週末は授業で出された宿題をしたり、中間、期末テストの勉強をしたりと、まるで中学、高校生に戻ったみたいだなと感じていました。初めはこんなふうに大変でしたが、2年目に入るころには英語の授業にも慣れてきました。しかし学年が上がるにつれて今度は授業のレベルも基礎的なものから発展的なものに上がり、次は新たな問題が出てきました。ディスカッションでの発言です。大学院の授業では、論文を読んで、論文のデータや結論について意見交換をするという形態がとられることがあります。発言をすることも成績を決める上での重要な評価ポイントとなるので、聞き役にまわると良い成績はとれません。しかしながら、みんなの前で何か意見を英語でいうというのは非常に勇気のいることでした。伝わらなかったらどうしよう、間違ったらどうしよう、などと考えて最初は発言を躊躇することもありました。しかし、悪い成績をとってしまうと退学になる可能性もあるので、自分に鞭を打ちながら発言をするように心がけました。こういった授業を通して、英語でディスカッションをするという力が鍛えられたと思います。

研究

1年目には授業と並行して、卒業研究を行う研究室を決めるためのラボローテーションがありました。自分で4つの研究室を選び、8週間ごとに研究室をまわりました。4つの研究室をまわってみてびっくりしたのは、それぞれの教授の指導方法、研究への関わり方、研究室の管理は大きく違うということです。ラボローテーションは無駄だと言う人もいますが、少なくとも私にとっては、様々な研究室の研究のやり方を知れたこと、知り合いが増えたことなどメリットがあったと思います。ローテーションが終わったあとは実際に一つの研究室に所属して卒業研究を始めました。長い戦いの始まりです。最初は教授から大まかなテーマを与えられ、始めのとっかかりになる実験、解析のアドバイスをもらいましたが、研究が進むにつれて、自ら研究のアイディアを出したり、方向性を決めたりし、必要があれば教授に助言を求めるという形で研究をしました。

このように研究室の教授は生徒の自主性、独立性を重んじつつも、必要があれば手助けをするという形だったので、私にとっては自分の考えに基づいて研究しつつも、大きな支えがいつもついているという感覚で非常に心強かったです。また、卒業論文のアドバイスをしてくれるのは、研究室の教授だけではありません。Thesis Committee と呼ばれる、私の卒業論文の最終審査をする他の研究室の教授3人も、私の研究に大きな助言をしてくださいました。これらの教授3人を含め、年に一回Committee meetingを開き自分の研究の進捗報告をすることで、研究がきっちりと進んでいることを確認する必要がありました。

私生活

アメリカにいると、人々が仕事、休暇どちらに対してもポジティブにとらえている雰囲気を感じることがよくあります。仕事も一生懸命するけれど遊ぶときも心置きなく遊ぶというように、人生をめいっぱい謳歌しようといった感じです。私の研究室の教授もその分野ではとても著名な研究者で、世界レベルでの大きなプロジェクトのリーダーシップを取っているような人でしたが、同時に、4人の子供の父親で家族との時間も非常に大事にする人でした。毎年の家族旅行も欠かさず、平日の夜も子供の宿題を見たり、芝刈りをしたり、家庭を非常に大事にしていました。教授の家でのポトラック(持ち寄り)パーティーも年に2-3回はあり、中国人、韓国人、インド人、ブラジル人、コロンビア人、フランス人と国際色豊かな研究室だったため、いろんな国の料理を楽しんだものです。またラテン系のメンバーがいたこともあって、最後はダンスパーティーになることもありました。アメリカではこういった仕事と私生活のバランスを上手く保っている人が多くいて、私も大きな影響を受けたと思います。私自身も、なるべく勉強や研究は集中して効率よく行うことを心がけ、年に一回は日本へ帰省し家族との時間を楽しみ、また、アメリカ国内の旅行なども楽しみました。平日、息抜きをしたいときは、大学のジムで運動したり、大学の音楽の授業に参加してみたり、友達とパーティーをしたり、ショッピングや美味しいものを食べに出かけたりなどといろいろ楽しんだと思います。

3. 博士号をとった後の私

現在、私はポスドク研究員として、新しい研究室で新しい研究プロジェクトを始めたところです。博士過程では学生という身分でしたが、ポスドクは一人前の研究者と見なされます。よい研究のアイディアはないか、面白い研究にするにはどうすればよいのか、どんな研究が最前線で行われているのかなどということを調べ、考えつつ、実験したりしています。もちろん研究室の教授や他のメンバー、さらには他の研究室の人たちとのディスカッションも欠かせません。博士号取得者の就職難は日本でもアメリカでも言われていますが、今はポスドクとして研究を続け、その次のステップに続くようにがんばろうと思っています。アメリカでは博士号取得者の就職先はアカデミアだけではなく、企業研究者、雑誌の編集長、コンサルタントなど多様です。今後自分がどのような形でサイエンスや社会に貢献したいのかを考えつつ次の道を探ろうと思っています。

4.日本の学生に伝えたいこと

何年にもわたる留学は自分の人生を大きく左右するものです。日本にいれば経験することのないような外国人という立場、言葉の壁、不自由さなどいろいろな面での苦労もあります。しかしながら、そういったマイナス面をも吹き飛ばすようなくらいの良い変化をアメリカの大学院留学は私にもたらしてくれたと思っています。研究に真摯に取り組む姿勢、真面目でありながら楽しむことも忘れない人々、情熱をどこまででも受け入れてくれる環境など私を魅了してやまないものがここにはあります。近年、海外に出たがる日本人が減少傾向にあると聞きますが、このエッセイを通して少しでも大学院留学について興味を持っていただければ幸いです。




著者略歴:岩田愛子(いわたあいこ)
日本の大学、大学院修士課程を卒業後、インディアナ州パデュー大学、ライフサイエンス学際プログラム博士課程に進学し博士号取得。博士課程の途中で指導教官の移動に伴いジョージア大学に研究室とともに移動し研究を続ける。2014年からはポスドク研究員としてペンシルバニア大
学に在籍。分子細胞生物学が専門。

※この文章は、2014年9月13日(土)に秋葉原UDXギャラリーで開催されるAmerica Expo 2013 にて配布予定の「カガクシャ・ネット:海外実況中継」と題した冊子に掲載されました。他の寄稿文、pdfファイルはこちらからダウンロード可能です。

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2014年9月10日水曜日

探究せよ、真理こそ我らのしるべなり

未だにはっきりと覚えている幼い頃の記憶がある。それはどこかの遊技場でのこと。一つの大きなブラウン管テレビの向こう側に時代遅れの白黒アニメが流れていた。人間以上に人間臭い心を持つくせに、壊れるとその中身はただのガラクタの塊でしかないロボットという存在に動揺しつつも魅せられ、そしてその姿はしっかりと心に刻みつけられた。それが鉄腕アトムであった。あれから20年、僕は高専で情報工学を学び、アメリカの大学でコンピュータサイエンスと心理学を専攻し、そして今オックスフォード大学の博士課程で計算神経科学の分野に携わりながら、あの頃にぼんやりと思い描いた夢を未だに追い求めている。



実を言えば一度だけ、高専時代にそれをもうやめようと思ったことがある。そろそろ自分も現実的な将来を見据えて生きていかなくてはいけない、と考え始めていた。しかし、そんな時にしたアメリカの高校での1年間の交換留学がそんな自分を思いとどまらせた。僕の通ったアメリカの高校では、授業の履修は基本的に選択制で、学生は皆学びたいことを自らの意志で選んで学んでいた。どの授業もインターラクティブで刺激的で、またどの学生も自分の意見を持ち、それを発言し議論できることに驚かされる毎日だった。一方で、彼らはよく遊び、スポーツもし、音楽もし、切り替えも効率もとてもよく、今まで自分が見ていた世界がいかに小さいものであったかを気付かされた経験だった。同じ世代の高校生が、「僕は映画監督になるんだ」とか「政治家になるんだ」とか、何の恥じらいもなく堂々と言える姿に心を揺り動かされて、大した根拠がなくたって好きなことを信じて生きたいように一所懸命生きることを選べばいいのだと気付かされた。その時、僕は大学はアメリカに行くことを決意したのだった。そうしてもう少しだけ夢を追ってみようと思ったのだった。

ジャーナリスト櫻井よしこは、彼女の米国での大学生活を振り返って以下のように指摘する。「日本での教育が、あれはいけない、これも問題がある、だからしない方がよいといういわば減点方式と受動に陥りがちなのに対して、米国での教育は完全に加点方式と能動を特徴としている。夢を描いたら挑戦してご覧なさい。こうしたいと考えたらやってみなさい。どんなことでも尻込みしたりあきらめたりしないで突き進んで御覧。他人に迷惑をかけてはならないけれど、自分の責任で、何でもやって御覧、という具合なのだ。」僕が常に前を向き、そして学部時代を本気で頑張ることができたのは、そんなことを象徴するような恩師との出会いがあったからであった。

僕は高専時代、あまり目立った学生ではなかった。授業中に発言するわけでもないし、オフィスアワーに行くわけでもなかったので、成績はよかったけれど自分のことを殆ど知らない教授もいた。今でも忘れないのは、2年生の頃、試験を終えたあとにどうしても腑に落ちない問題があって珍しく教授のオフィスを訪ねたことがあった。教授は僕の顔を見るなり「採点ならまだ終わってないよ。でも誰も落第点とるような試験じゃないから君も心配しなくていいから。」と呆れ顔で言った。普段から試験では良い点をとっていたし提出物はいつも誰よりも先に終わらせていたし、殆どの人が面倒臭がってやらない課題も必ず提出していたのに彼は僕を全く知らなかった。案外そういうことは伝わってないものなんだな、とその時初めて学んだ。

アメリカの大学に入ってからもしばらくはそうだった。ただ「どうせ伝わらない」と思いながらも自己満足のためだけにいつも何でも無駄に2,3割増しで頑張っていた。2年生の前期に履修したトンプソン教授の人工知能のクラスも例外ではなかった。グループプロジェクトが基本のクラスだったのだけれど、他のメンバーが本当に何もやらない。ミーティングにも来ないし、レポートも留学生の自分に丸投げ。このままでは自分の成績にも響いてしまうので、仕方がなく必死で3人分の作業を全部一人でやってのけた。ターム最後のプレゼンを聞いてトンプソン教授はその結果を大絶賛していたけど、何もしなかった2人の方が質疑応答でもうまく話せるものだから「きっと自分がグループの足手まといに見えてるんだろうな・・」と思っていた。

その日の夜、トンプソン教授から「明日オフィスに来なさい。」とメールが来た。一体何を言われるんだろうと狼狽えながら次の日オフィスを訪れると、彼は笑顔で椅子に座っていた。机の上には自分のグループのレポートが置いてあり、その表紙を指さして彼は、「この長いレポート、おそらく君だけで書き上げたんじゃないかな。」と言った。僕は他の2人のことを告げ口するつもりは全くなかったので困って口ごもると、「見てごらん」と言ってそのレポートをめくり始めた。するとページの至る所に赤い線やら文字やらがいっぱい書き込まれていて、「君は独特な英語を書くね。」と僕の不完全な英語をからかって笑った。そして、「プロジェクトに関してもきっと殆ど君一人でやったんだろう。」と付け加えた。僕は相変わらず苦笑いをしていると、「言わなくても昨日のプレゼンテーションで気づいたよ。」とまた笑った。

この日から色々なことが変わり始めた。2年生の後期には、彼の推薦で、彼の教える修士の授業を履修することになった。そこで企業との会議に参加して、初めて学会発表も経験した。またその時に書いた論文がその年の卒論も含めたすべての学内学部生研究論文から、3つの優秀な論文の1つとして選出されたりもした。更にトンプソン教授はその論文を僕の知らないうちに国際学会に提出していて、「ピアレビューを通ったからドイツに行って発表してきなさい。」と言われるがままに一人でその夏ドイツに行くことになった。初めての国際学会に緊張しきってプレゼンは大失敗。申し訳なさそうに帰ってきた僕を迎えたのはトンプソン教授の「初めてのヨーロッパはどうだったかい?」「観光もたくさん出来たかい?」という笑顔だった。そして改まって「僕も初めて授業を教えたときは本当に緊張して大失敗だったよ。だけどそれを繰り返すことで慣れていくんだ。君にはたくさん経験してもらう。」と励ましてくれた。

3年生前期に初めて無名だけれど一応ジャーナルに論文を出すことができた。またトンプソン教授の推薦でComputing Research Association(CRA)の全米からコンピュータ・サイエンス学部生を選出するCRA Outstanding undergraduate Researcher Awardsにノミネートされ、結果運良く優秀賞を授かった。するとその結果を見たウォータールー大学やヨーク大学の教授から是非院に来てくれとオファーが来たり、googleやamazonのリクルーターから連絡が入ったりなんてこともあった。トンプソン教授はそんな僕のことを他の教授に話すことも大好きだったようで、気づけば授業を受けたこともない教授までも自分に声をかけてくるようになっていた。

「案外伝わらないものなんだな」と分かっていながらも、積極的にアピールすることをできなかった僕を彼は見つけてくれた。そして英語もそんなに上手じゃない自分を信じて、次々に色々な機会を与えて育ててくれた。本当に一人ひとりの学生のことをよく見ていて、その成長を自分のことのように喜べるとても素敵な教授だった。彼との出会いがあったから大変さも楽しみに変わった。そんな彼との出会いがあったから、僕は未だに研究を続けていられるのだと思う。

"Veritate Duce Progredi"(探究せよ、真理こそ我らのしるべなり)これは母校、アーカンソー大学の校訓である。将来ずっと同じ夢を追い求め続けているかどうかは、本音を言えば今の時点ではまだ分からない。しかし、ひとつの目標を定めて挑戦し続けてきたことで、見えてくる世界は大きく広がった。やってみたいと思えることがいくつも出てきた。「映画監督になりたい」とあの時目を輝かせて語った友達が、或いは「政治家になるんだ」と胸を張った友達が皆、未だにそれらを追い求めているとは思わない。しかし、それらの夢は彼らの人生の真理を探究するきっかけを与えたことは間違いないと思う。だから夢なんていうのはもしかしたら単なるきっかけでしかないのだと思う。好きな言葉に「夢を見ながら耕す人になれ」というものがある。日々努力を続けても、なかなか変化は目に見えてこない。進めば進むほど、夢はさらに遠ざかっていくようにさえ感じられる。しかし夢を見ている限り耕し続けられる。そして、耕し続けている限り、それは決して無駄になることはない。アメリカには、そこにきっと大きな実を実らせる肥沃な土壌がある。これから留学を考えている皆さんには、どんなことでもいいからまず夢を口にして、そしてそれに向かって一所懸命に挑戦してみて欲しいと思う。




著者略歴:江口晃浩(えぐちあきひろ)
豊田高専情報工学科在籍時にAFSを通じてオレゴン州の高校で一年間の交換留学を経験。帰国後高専を三年次課程修了時に中退し、2008年秋より米州立アーカンソー大学(フェイエットビル校)に進学。2011年春にコンピュータ・サイエンス(B.S.)を、2012年春に心理学(B.A.)を、共にsumma cum laudeで卒業。2013年 秋より英国オックスフォード大学大学院で計算神経科学の研究で博士号過程に在籍中。ブログ「オックスフォードな日々


※この文章は、2014年9月13日(土)に秋葉原UDXギャラリーで開催されるAmerica Expo 2013 にて配布予定の「カガクシャ・ネット:海外実況中継」と題した冊子に掲載されました。他の寄稿文、pdfファイルはこちらからダウンロード可能です。

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2014年9月8日月曜日

カガクシャ・ネットとオンライン留学相談会のご案内

カガクシャ・ネット (http://www.kagakusha.net) は2000年にメーリングリストとして発足したオンライン上の留学生団体です。いまでこそブログなどで留学体験を読むことも比較的容易になりましたが,発足当初は学位留学に関する書籍はほとんどなく,インターネットでも留学準備・経験に関する情報を得ることは難しい状態でした。メーリングリストを用いることで,留学準備や留学生活に関する情報をシェアすることを当面の目的としてカガクシャ・ネットの活動はスタートしました.現在は大学院留学および留学後のキャリア構築の支援を通じて,日本の科学技術の発展に貢献できる人材の育成を目指しています。

メーリングリスト(現在はLinkedInに移行)だけでなく,2007年からは月2回のメールマガジンの発行 (アーカイブ:
http://kagakushanet.blogspot.com/,
http://www.kagakusha.net/e-mag ),
書籍の出版(「理系大学院留学—アメリカで実現する研究者への道」,アルク)をおこなってきました。それに加え,2010年,2012年には東京でイベントを開催しました.さらに,2013年には,留学後のキャリアを考えるためのウェビナー(オンラインセミナー)を開催しました。(
http://www.kagakusha.net/conference
http://www.kagakusha.net/webinar_2013_01
より動画もご覧いただけます)



新たな取り組みとして,2013年からは医学系・航空宇宙系の分科会オンライン座談会をはじめました.分科会はより専門的な議論を中心に,座談会は分野にこだわらない広いトピックでの議論をおこなっていますが,研究に関する話だけでなく,留学や留学後のキャリアに関する相談もおこなわれています。これまで主に用いてきたメーリングリストは情報交換には有効でしたが,どうしても情報の流れが一方向的になりがちで,活発な議論をする場としては使いづらいところがありました。また従来のメーリングリストを用いたやり取りでは実名での発言が過去ログとして残ってしまうことから,思い切った意見を発信しづらく感じた方も少なからずいたと考えられます。オンライン座談会では,SkypeやGoogle Hangoutなどのオンラインツールの活用により,文字ベースではないfaceto-face  により近い会話ベースのやり取りが可能です。また,10人以下という少人数でclosedな空間であるために,留学準備やその後のキャリア,研究についての深い相談をすることができます.これらの座談会や分科会の最大の魅力は,議事録として公開できないような「ぶっちゃけ話」にあります。リラックスした何でも質問できる雰囲気で,書籍やウェブサイトでは読むことのできない本音の話や企業機密に近い情報も聞くことができることはオンライン座談会の魅力の一つです。

2014年7月には「オンライン留学相談会」と題した座談会がおこなわれました。この会には,留学を検討されている大学生3名と博士課程に留学中,もしくは留学を終えて就職された方4名が出
席しました。この相談会では,「海外の大学院に合格できるためには、どのような要件が必要ですか?」のような,留学準備や選考に関する質問から,「アメリカで大学の教員職に就くのはどれぐらい難しいですか?」「医療関連の研究に興味があるのですが、アメリカではこの分野の就職状況はどうですか?」「海外に進学すると日本に戻りづらくなると聞きますが実際のところはどうでしょうか?」といった留学後の進路に関する質問も見受けられました。

相談会に参加して個人的に気になったのは,留学を考えている方はGPAやGRE,TOEFL (もしくはIELTS) といった数字で表されるわかりやすい指標にこだわりすぎているのではないだろうかという点でした.テストの点数や学部の成績ももちろん合否を決めるうえでは重要なのですが,もっと重要だと思うのは,留学先で何をしたいのか?留学後に何をしたいのか?について自分の意見をしっかり持つことです.なぜ自分がA大学のB分野にあるC研究室で学びたいのかを考えることにもつながります.これらの留学に対するモチベーションはStatement of Purpose  (出願理由書)  にも書くことになりますし,日本にいる間にできること(たとえば他学部の授業でも必要に応
じて取る,研究室を見学させてもらうなど)を考えるきっかけにもなります。また,苦労も多い留学生活を乗り切るためにも強い志を持つことは大切です。

留学を検討されているみなさまには,カガクシャ・ネットのウェブサイトにアクセスしていただき,LinkedInや座談会・分科会を通じて,積極的に情報収集していただけると幸いです。



著者略歴:武田祐史(たけだゆうじ)
京都大学工学部物理工学科,京都大学大学院工学研究科機械理工学専攻修士課程を経て,2011年よりタフツ大学 (Department of Biomedical Engineering, Tufts University) 博士課程在学中.2013年からカガクシャ・ネット副代表

※この文章は、2014年9月13日(土)に秋葉原UDXギャラリーで開催されるAmerica Expo 2013 にて配布予定の「カガクシャ・ネット:海外実況中継」と題した冊子に掲載されました。他の寄稿文、pdfファイルはこちらからダウンロード可能です。

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2014年9月7日日曜日

英国オックスフォード大学留学 第2回


英国オックスフォード大学留学の第二回になります。前回に続き、山田倫大さんに今回はオックスフォードでの生活についてご紹介していただきます。留学においては勉学だけでなく、生活環境も非常に重要です。それではお楽しみください。
 

2. オックスフォードでの生活

オックスフォード大学のあるオックスフォード市は、イングランド中央部のやや南部、ロンドンから北西に列車で1時間ほどの距離に位置しています。オックスフォード大学に世界中から集まってきた学生や学者を中心とした学問の街であり、実際に約14万人の人口の1割をオックスフォード大学の学生が占めます(プログラムに依ってはオックスフォードに住む必要がないため、在籍学生の数に対して市内の学生の数は少なくなっています)。また、歴史的な建物や伝統的な文化を魅力とする観光都市としても世界的に知られており、週末は観光客で大いに賑わっています。これまでの滞在経験に基づいて、オックスフォード(及び英国)の生活環境について簡単に描写したいと思います。

2.1.食事

まず美味しくないことで有名な英国の食事についてですが、残念ながらこれはある程度事実です。(もし英国の方が今この記事を読んで下さっているとしたら申し訳ありません。しかし話してみると、英国の人々自身も「英国料理は駄目だね」とあっさり認めることが多く、それを楽しんでいる様子さえ見受けられます。ゆえに、ここに書くことが国際問題に発展することはないと判断し、話を続けたいと思います。)

英国人にとって食事は楽しむものというよりもお腹を満たすものであり、それ程こだわりがないようです。そのため手間暇をかけて料理をするということに価値を見出せず、食文化もあまり発展しなかったらしいのです。それに加えて、こちらの人々は味付け、とりわけ塩味に鈍感であるとも言われます。確かに売店で買うサンドイッチ、食堂で頂くローストチキン、スーパーマーケットで手に入るお惣菜など、味付けのはっきりしない、というよりもむしろ味付けのない食事をいくらでも体験することができます。また英国では基本的に野菜はその歯ごたえがなくなるまで徹底的に煮ます。シャキシャキとした歯ごたえも鮮やかな彩りも(そしておそらく栄養素のかなりの部分も)失ってしまった野菜から見出せる魅力を自分はあまり知りません。

また、基本的に英国料理は大皿に野菜や肉などをドカドカとまとめて盛るため、見た目に楽しめるということもそれ程ありません。とは言うものの、英国料理の中にもグレイービーソースのかかったサンデーローストやパイ料理など、美味しいと感じるものも存在
します。さらに言えば、留学生が数多く集まるオックスフォードにはフランス・イタリア・スペインなどの欧州諸国の料理から、中華・インディアン・タイ料理まで各国の味を提供するレストランが散在しています。ゆえに経験を重ね、“当たり”の料理を見極められるようになれば、ある程度充実した食生活を送ることも可能なのです(また近年、英国で食事を大切にする風潮が高まってきたことにより、一昔と比べ状況はだいぶ改善されてきているようです)。

しかし例えばサンデーローストの値段は通常十数ポンド程‐日本円にして2000円以上もします。英国料理に限らず、オックスフォードでの外食は日本と比べ、質に対する価格が割高であることがほとんどです。昼にサンドイッチを買うと4-5ポンド(約700-850円)程、
カフェなどでドリンクとともに軽食を取ると日本円にして1000円以上の出費となります。比較的リーズナブルなアジア系のレストラン(中華料理やタイ料理)でも最低1品7ポンド(約1200円)程度します。それ程高級でないレストランでも夕食では1品10ポンド強から20ポンド弱程度かかるため、アルコール類も注文すると、1回の食事で30ポンド(約5000円)近く支払うということも珍しくありません(特に男性は大変(?)ですね)。ゆえに学生は値段の安さが売りのカレッジの食堂のメニュー、もしくは自炊が中心となります。人によってはこちらの食事は合わないということもありますので、留学前に料理の練習をしておいた方がよいかもしれません。

2.2.住居

学生の多くはカレッジが所有する集合住宅に住みます。家賃の安さや立地の良さ、またカレッジのメンバーと頻繁に会うことができる、といった点が主な利点です。費用については、他のカレッジの事情を詳しく知らないので何とも言えませんが、日本の大学生が住む典型的な部屋の広さに対して、(家賃と光熱費を合わせて)月に500ポンド台が平均といったところでしょうか。円安のこともあり割高に感じます。

カレッジとは無縁の一般の不動産に住居を置く学生も珍しくありませんが、そのほとんどの場合、個室以外をハウスメイトとシェアする形式となります。そうでないと費用が高くなり過ぎるためです。

カレッジが用意する部屋でさえも質が非常に不均質であり、その選択には慎重にならなくてはなりません。日本では考えられないくらいシャワーやトイレの水圧が弱かったり、
一日中ほとんど日が差し込まなかったり、さらには湿気のためにカビのにおいが充満しているという部屋さえあります。

美しい建築物に囲まれた生活を送っていると、古い建物を大切にする英国人の気持ちが分かりますが、それでもやはり住宅設備の充実を望みます。

(第3回へつづく)



今回は生活についてご紹介していただきました。次回は生活の中でも特に気候、治安、余暇活動についてご紹介していただきます。ご期待ください。
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